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京都旅 養源院編

先日京都の養源院さんと圓徳院さんへお邪魔してきました。今回は養源院編として少しご紹介いたします!

養源院の血天井

皆様、養源院さんはご存知でしょうか?養源院(ようげんいん)は、京都市東山区にある浄土真宗遣迎院派の寺院です。あまり大きな寺院ではありませんが、中身がギュッと詰まった観光スポットです。有名な三十三間堂の前にあります。

1594年(文禄3年)に浅井長政の長女・茶々(淀殿)が、父の菩提を弔うため、21回法要の時に夫の豊臣秀吉に願って創建した寺院で、養源院の名前は浅井長政の法名から付けられました。養源院でしか見られないものがあるんです。

それは「血天井」です!
天井に血?と不思議に思われますよね。血天井の歴史は関ヶ原の戦い前にさかのぼります。

関ヶ原の戦いの少し前、徳川方と豊臣方の大きな戦いがありました。伏見城を守り、石田三成を足止めするよう命を受けた徳川方の鳥居元忠率いる約2,000名vs豊臣方の石田三成率いる4万の軍勢が攻め合った戦いです。10日間も攻防戦が続き、最初は約2,000名いた兵士たちが380名余となり、力尽きた徳川方の重臣・鳥居元忠は「中の御殿」に集まって自刃し、伏見城は落城しました。その亡骸は関ヶ原の戦いが終わるまで、残暑厳しい夏の2ヶ月ほど伏見城に放置されていたといいます。そのため、おびただしい血が床板に染み付き、洗っても削っても取れなくなってしまったそうです。

伏見城の床板を外し、供養として養源院の天井板としたものが「血天井」なのです。ガイドさんの説明を聞きながら天井をじっくり見ると、鳥居元忠の手、首、足の跡がぼんやりと浮かび上がって見え、壮絶さがひしひしと感じられました。

わかさ生活ホームページ京都の寺社仏閣より

皇室・豊臣・徳川が並ぶ!?

先ほど書きました通り、養源院を創建したのは豊臣秀吉の側室だった浅井長政の長女・茶々(淀殿)で、父の浅井長政の供養のために建てられたのが養源院です。その後、徳川秀忠の正室お江(浅井三姉妹・三女)により再興された徳川家の菩提所でもあります。養源院は豊臣家に創建され、徳川家の菩提所となる不思議な因縁があるといえます。

また、お江と秀忠の位牌が見られるのですが、よく見てみると「菊」「葵」「桐」の紋が確認できます。菊=天皇家の紋、葵=徳川の紋、桐=豊臣の紋で、この3つの紋が見られるのは日本でここだけなのです!お江は後に天皇家へ嫁ぐことになる和子を産んだことで、天皇家とも深く関わることになりました。様々な因縁を秘めた3つの紋ですが、これが見られることは本当に凄いことなのです!伝わりますでしょうか!

重要文化財 俵屋宗達による襖絵

江戸時代の有名絵師・俵屋宗達が描いた襖絵「松図十二面」や、白象、唐獅子、麒麟を描いた杉戸絵が見られます。当時無名だった宗達は、養源院の絵師に大抜擢され、この杉戸絵で名を馳せることになりました。躍動感溢れる屏風絵はいくつも残していますが、襖絵はたったこれだけです!杉戸絵も併せて、どちらも養源院さんでしか見られません。

ここで描かれている麒麟。本当は二体一対で、麒が角のあるオス、麟がメスであるそうです!初めて知りました!そして、あのビールで有名なキリンも、宗達の絵を参考に作られたそうです。

わかさ生活ホームページ京都の寺社仏閣より

今にも飛び出してきそうな臨場感溢れる動物たち、躍動感のある作風は大胆で幻想的でした。まさに天才!俵屋宗達の絵画、ぜひ皆様にも見て頂きたいです!

たくさんの悲しみや切なる祈り、無念などなど・・・ここへ来ればきっと色々なことがダイレクトに感じられるのではないでしょうか。ぜひ皆様、行ってみてください!

養源院(9:00-16:00)
住所:京都市東山区三十三間堂廻町656
アクセス:京阪電車「七条」下車、徒歩約7分
市バス「博物館三十三間堂前」または「東山七条」下車、徒歩約3分
TEL:075-561-3887

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