大阪市西区 サムハラ神社に行ってきました
大阪市西区にある「サムハラ神社」へ行ってきました!サムハラ神社はビルとビルの間にある小さな神社ですが、人気のパワースポットとしてたくさんの方が遠くからも参拝に訪れています。平日の昼間でもお礼参りなどで参拝する方が後を絶ちません。サムハラ神社のお守りを持っていたことで、事故から身を守ってもらえたという事例がたくさんあるそうです。サムハラ神社のパワーをいくつかご紹介いたします!
サムハラ神社のご利益
サムハラ神社の御祭神は天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)、高御産巣日神(タカミムスビノカミ)、神皇産霊神(カミムスビノカミ)です。
サムハラ神社の「サムハラ」は、上記の三神の総称だそうです。「サムハラ」の漢字が複雑で難しい字で、変換で出てこないため写真でご覧ください。
三神は世界全人類にケガや病気がなく、皆の幸福を願っている神様です。また、動植物はもとより、大宇宙における有形無形のあらゆる万物を作り出し、支配している神だと言われています。サムハラ神社は無病息災、家運隆盛、無傷無病、延命長寿のご利益があるとされ、全国的に深く信仰されています。
サムハラ神社の歴史
万年筆が有名な「田中大元堂」を経営していた田中富三郎が1935年、出身地である岡山県津山市加茂町にあった神社が荒廃していたため再興したのが「サムハラ神社」の始まりです。その後自主撤去させられますが、戦後になり神社は再興されます。そして当時大阪の中之島にあった豊国神社の隣に自費で建立されました。その時、神前扉材は伊勢神宮より賜ったそうです。その後1961年に現在の場所に移築遷宮されています。
田中富三郎は日清・日露戦争に参加、激しい攻撃にあいながらも無事帰還できたには、肌身離さず持っていたサムハラ様の不思議の御霊徳だということに気付きます。そのことがあってから、その後の戦争中には大阪師団司令部を通じて出兵兵士に自費でお守りを作り贈呈していたそうです。
その時のお礼参りをする人たちや、サムハラ様のお守りは身をもってくださる、という話を聞きつけて参拝する方たちが大勢いたことから、サムハラ神社信仰が大きく広がっていくことになったのです。
田中富三郎は地元の小学校に図書館を作ったり、小学資金を贈るなど、児童育成に貢献したとして紺綬褒章も授与されています。サムハラ神社境内に田中富三郎像があります。
指輪型のお守り「御神環」
サムハラ神社で有名なのが指輪型のお守り「御神環」です。参拝者のほとんどが希望するお守りですが、指輪なので作るのに時間がかかるのと人気が高いため、あっという間に売り切れてしまいます。1ヶ月に1度だけ入ってきて、その日の午前中(10時ごろ)にはなくなってしまうそうです。
御神環 指輪型肌守の授与ルールは以下の通りです。
- 原則として一人一体ずつの授与
- お守りの予約はできない
- 指に合わない号数の場合は授与できない
- 初穂料3,000円
このお守りを持っていたことで、事故に巻き込まれても無事だったという事例がいくつもあるそうです。指輪型肌守はなかなかゲットできませんが、それ以外のお守りは普通に購入できます。
銭形肌守=サムハラ御守
指輪型肌守と同じご利益があるとされる銭形肌守も有名です。赤色のお札とお金の形をしたお守りが入っています。
白い紙に「不思議の四文字身を守る、世界平和、サムハラ御守、ご祈祷済み」
赤い紙に「延命長寿、無病息災、無傷安全、サムハラ御守」
これらとサムハラ神社の説明が書かれた紙が赤い紙に挟まれた状態でお守りが入っています。
赤い紙の裏側には「心は〇マルクいつも笑顔で親切にと書かれています。
またお金も入っていて、表側に「無傷、無病、御守」の文字と、恵比寿様のようなおだやかなお顔の神様がのっています。裏側には漢字でサムハラ神社と書かれています。これにはかなりパワーを感じます。肌身離さず持ち運んでいます!
サムハラ御守の効果
サムハラ神社の入り口横にパネルで、サムハラ御守のおかげで危険から身を守られたという人の報告が書かれています。女優の浜木綿子さん、小倉屋(山本昆布店)の社長山本利助さん、鹿島建設大阪支店労務課長の桃井忠雄さんなどのパネルがあります。少々古くて読みづらいかもしれませんが、写真でご覧ください。
大都会の一角にひっそりと建っているサムハラ神社ですが、ただならぬパワーを感じました!ぜひ一度お立ち寄りください。パワーをいただきましょう!
サムハラ神社
参拝:9時~17時まで
ご祈祷受付時間:16時30分まで
住所:〒550-0012 大阪府大阪市西区立売堀2-5-26
電話番号:06-6538-2251
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