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大阪七福神巡り 長久寺・法案寺編

大阪七福神巡り、は1月10日の「十日戎(とおかえびす)」に合わせて行われていました。玉造の三光神社がスタート、天王寺の四天王寺がゴールで、徒歩約3時間のコースです。前回はスタートの三光神社編でしたので、今回は大阪七福神巡りの長久寺さんと法案寺さんをご紹介いたします!

長久寺

長久寺は大阪市中央区にある日蓮宗の寺院です。地下鉄谷町線「谷町6丁目」下車、谷町筋を南へ谷町7丁目の交差点を西に入るとあります。大阪七福神の延命長寿の神である「福禄寿(ふくろくじゅ)」を祀っています。

長久寺の歴史

長久寺は、1579年(天正7年)に日長によって創建されました。その後1589年(天正17年)に淀殿が子の豊臣秀頼の武運長久を祈願するため、片桐且元(かたぎりかつもと)と大野治長(おおのはるなが)が奉行となって、大坂城築城の余材を使って本堂が建立されたとされています。しかし、この説では年代が合わないため淀殿の寺とも呼ばれています。

1712年に本堂以外が焼失するも、宝暦・明和年間(1751年~1772年)に復興しました。明治維新の頃、神仏分離の考えから起こった仏教破壊運動「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」によって衰微することになりましたが、後に諸堂の修繕が行われました。1937年(昭和12年)に大規模な移転が行われ、1938年(昭和13年)に完成しました。1945年(昭和20年)には大阪大空襲による爆弾の被害を受け、本堂の屋根の3分の1が吹き飛びました。1958年(昭和33年)から始まった谷町筋の拡張工事のため、境内が1,800平方メートルも削られることになり、本堂、大門、帝釈堂などは奈良の薬師寺に移築されました。境内地が縮小してしまったため、1963年(昭和38年)に鉄筋コンクリート造の近代的な本堂が建立されました。

また、長久寺には赤穂浪士四十七士の一人である原惣右衛門のお墓があります。

原惣右衛門(享年55)

福禄寿とは

福禄寿は、①福(子孫繁栄)②禄(財産)③寿(健康長寿)の三徳を具現化した福の神です。背は低く、長いひげを生やし、経文が書かれた巻物(経巻)を杖に結んで、鶴を従えている姿とされています。

中国では、福星・禄星・寿星の3つの星を神格化した、三体一組の神だと考えられていました。寿星の姿が長大な頭に白ひげをたくわえた老人として描かれていたため、寿老人として日本には伝わっています。なので日本では福禄寿と寿老人が同一視されることがあります。見分け方ですが、福禄寿のほうは経巻をつけた杖を持って、もう片手には宝珠を持ち、鶴を引き連れています。寿老人は同じく経巻をつけた杖を持ち、もう片手に桃やうちわを持って、鹿を引き連れています。また、杖ではなく手に経巻を持っている場合もあります。

福禄寿
寿老人
長久寺の福禄寿

法案寺

法案寺は大阪市中央区にある高野山真言宗の準別格本山で、正確には法案寺南坊と呼びます。本尊は大聖歓喜天(聖天)で、「日本橋の聖天さん」と呼ばれ信仰を集めています。聖天は「福寿愛」のご利益があるとされています。法案寺の御朱印には「福寿愛」と記された朱印が押されています。地下鉄堺筋線「日本橋」下車後、堺筋を北へ、日本橋北詰を東へ150m進むとあります。大阪七福神の智恵財宝の神である「弁財天(べんざいてん)」を祀っています。

法案寺の歴史

法案寺は、推古天皇の頃(593年~628年)に聖徳太子によって建立されたと伝わっています。志宜野(現在の城東区鴫野の西側にある法円坂)にあったとされています。平安時代には神仏習合の思想が広まり、隣接する生玉神社と神仏習合し、「生玉宮寺」として隆盛しました。

天正年間(1573年~1592年)の織田信長と大坂本願寺との間で戦われた石山合戦に巻き込まれ、生玉神社と共に焼失しています。豊臣秀吉が大坂城を築城する際、法案寺は法円坂にありましたが、1583年(天正11年)生玉神社と共に馬場崎(現在の天王寺区生玉町)に移転されました。1615年(慶長20年)の大坂夏の陣による兵火で生玉神社と共に焼失しましたが、江戸幕府により両方復興されました。明治時代に入り、神仏分離が行われると生玉神社と分離され、管理していた9つの神宮寺も奈良県の円正寺や別の寺に合併されました。法案寺は寺領を失っていく中で、当時の住職らが本堂から聖観音と歓喜天を持ち出し、1879年(明治12年)に現在の場所である大阪市中央区島之内に寺基を移しました。1883年(明治16年)には法案寺南坊として再建しましたが、生玉町にあった頃と比べると狭くなりました。1945年(昭和20年)の大阪大空襲で全焼しましたが、戦後復興し現在に至ります。

法案寺

弁財天とは

弁財天は七福神の中で紅一点、唯一女性の神様で、多くのご利益があることで知られています。有名なご利益は以下の通りです。

  • 金運、財運開運
  • 芸事の上達
  • 縁結び、恋愛成就、縁切り
  • 学業成就
  • 立身出世
  • 国家鎮護など

弁財天はインドの女神サラスヴァティーが由来とされています。サラス=水で、自然の偉大さを神格化したものです。豊穣の神とも考えられ、河の流れる音が音楽を奏でるという連想から音楽の神様とも考えられています。

言葉(弁)の才に優れた神であることから、「弁才天」とも言われています。人々に弁才と智恵、財宝、延命を与えて、疾病や悪夢などを遠ざける力もあります。

弁財天

長久寺、法案寺もどちらも歴史のあるお寺で、長久寺さんが豊臣政権の時代、法案寺さんがなんと聖徳太子の頃だということに大変驚きました!法案寺さんはもともと鴫野にあったというからまた驚きました!実はわたしの生まれも鴫野なんです。ご縁を感じました!ぜひ足を運んでみてください。

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