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京都旅 圓徳院編

先日の京都旅でお邪魔した圓徳院さんのご紹介もさせていただきます!

圓徳院(えんとくいん)

圓徳院は京都市東山区にある臨済宗建仁寺派・高台寺の塔頭のひとつで、本尊は釈迦如来です。豊臣秀吉の正室・北政所(ねね)が晩年の19年間自身の本拠地としたことで知られ、一説にはその終焉の地とも言われています。北政所(ねねさん)といえば高台寺を思い出される方が多いと思いますが、高台寺は秀吉公の霊を弔うのと、北政所のお墓がある場所です。晩年過ごされていたことで有名なのは圓徳院さんなのです。

圓徳院の歴史と枯山水庭園

備中国足守藩主で北政所の甥にあたる木下利房が、伏見城にあった北政所化粧御殿をこの地に移し、自らの邸としたことが始まりです。利房の死後、その菩提を弔う寺となり、利房の院号「圓徳院」をそのまま寺の名前としました。

北庭「旧円徳院庭園」は北書院の東に位置し、庭師・賢庭(けんてい)が作った伏見城北政所化粧御殿の前庭の池泉回遊式庭園を縮小して移築したものです。庭東の築山から枯滝を枯池に落とした2島を配置し、これを3本の石橋で結ぶというもので、桃山時代の典型的な枯山水の庭園です。全体的に巨大な岩を多く配置した珍しい庭園としても知られています。

本当に美しい庭園で見事の一言でした!写真には女性が写っていますが、1人で来られこの庭にとけこんでおられました。決して私の妻ではありません!

重要文化財 紙本墨画山水図

重要文化財に指定されている襖絵「紙本墨画山水図」は、1589年天正17年頃 長谷川等伯によって作成されました。元は大徳寺・三玄院の方丈を飾るものでしたが、明治初期の廃仏毀釈によって流出し、今では圓徳院に山水図32面が、京都楽美術館に4面が分蔵されています。長谷川等伯はかねてより三玄院で襖絵を制作することを懇願していましたが、修行の場に絵は不要と、当時の住職宗園に相手にされなかったといいます。ある時宗園が2ヶ月ほど留守をすることを知った等伯は、この時ぞとばかりに三玄院に押しかけ、止めるのを振り切って一気呵成にこの襖絵を描きました。帰ってきてこの事を知った宗園は、立腹しつつも絵の出来栄えに感嘆し、結局はこの襖絵を認めたそうです。襖絵の料紙が作画には不向きな雲母刷り胡粉の桐紋様の唐紙であることから、この話はおよそ事実に近いと考えられています。全36面の襖絵のすべてが桐紋様の上に描かれていて、このような作品は他に例を見ない特異なものとして知られています。

なかなか撮影OKのところは少ないのですが、32面の墨画、なんと撮影のOKを頂きました!

墨画や素晴らしい庭園を堪能し、圓徳院をあとにしました!圓徳院を出ると、目の前に御陵衛士(ごりょうえじ)の屯所跡がありました。

歴史の息吹を感じる良い旅でした!

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