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わが町大東 散歩日記③

散歩日記の②でご紹介した「おかげ灯籠」を過ぎ、細道をしばらく進んでいくと、素戔嗚(すさのお)神社が右手に見えてきます。

号外NETより

こちら立て看板等がなかったので、どんな神社なのか検索して調べてみました。

素戔嗚神社は、産土(うぶすな)神社とも呼ばれており、祭神はスサノオノミコトです。産土神社とは、生まれた土地の守護神が祀られている神社で、どこかに移住しても産土神は一生を通じて守ってくれると言われています。

素戔嗚神社は、1626年(寛永3年)には既に記録されていて、現在の社殿は文化文政の時代である江戸時代後期1804年~1830年に建立されたとのことです。

石燈籠や狛犬などがいつ建立されたか、詳しく大東四條畷号外NETのホームページに掲載されています。以下抜粋いたします。
・社殿の左右にある御神灯(石燈籠)・・・文化8年建立(209年前)
・狛犬・・・旧 文政3年建立(200年前)、新 昭和58年建立(37年前)
・鳥居の左右にある御神灯(石燈籠)・・・天保4年建立(187年前)
・大鳥居・・・旧 木の大鳥居は2回大地震で倒壊している。旧 大鳥居は安政元年と安政2年(166年前)に建立。現在の石の大鳥居は大正7年建立(102年前)
・石造りの手洗い・・・天明6年奉納(234年前)

さらに境内の裏半分の石垣は、当時の人が旧大和川から集めて積み上げたものだと言われています。

調べれば調べるほど歴史好きの私は感動しました!!
たとえば天下分け目の関ヶ原の戦い。安土桃山時代の慶長5年(1600年)、豊臣政権を守ろうとする石田三成VSなんとか豊臣の血を絶やそうとする徳川家康による戦いですが、これが1600年に起こっていて、素戔嗚神社は1623年には既にあったということですから、ひょっとしたら三成、家康、幸村、吉継、清正、長政、高虎などが来ていたかも?想像するとたまりません!

慶長19年(1614年)の大坂冬の陣、慶長20年(1615年)の大坂夏の陣により、豊臣政権は幕を閉じ、徳川幕府が政権を握り、徳川政権の260年もの長い歴史、大政奉還、明治維新と、時代の移り変わりを素戔嗚神社は見てきたのでしょう!

そんなことを考えているとなかなか次へ進めません!あかんあかん先に進みましょう!

次に紹介するのは素戔嗚神社のすぐ隣にある、灰塚大峯堂です。こちらも立て看板はなかったので、検索して調べたところ、詳しい由緒は不明とのことでした。

このお堂の中には、修験道の祖である役行者(えんのぎょうじゃ)の像、石仏2体などが祀られているそうです。そしてお堂の前には「大峯山上三十三度」と刻まれた大峯山への参拝記念碑が建てられています。民間信仰として戦後あたりまで、「男は一生に一度は大峯山に参らなければいけない」という考えがあり、子供の大人の仲間入りする際の行事が行われていたといいます。

役行者を祀っていることや、大峯山への参拝行事が盛んだったことから、灰塚は山岳信仰が強い地域だったと考えられます。

赤井1丁目にある私の大好きなホルモン兀(ごつ)さんのお店の隣にも、同じような大峯堂があります。大峯山信仰や何かしらの繋がりがあるのでしょう。少し歩いただけで様々な歴史の息吹が感じられ、なかなか先へ進まない散歩日記でした!

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