京都伏見に残る幕末スポット
前回までは京都に残る鳥羽・伏見の戦いの史跡をご紹介いたしましたが、今回は坂本龍馬ゆかりの地や寺田屋騒動などの幕末スポットをご紹介いたします!
①薩摩藩主・島津家ゆかり 大黒寺
大黒寺は京都市伏見区鷹匠町にあります。始まりは平安時代の弘法大師だと言われています。薩摩藩主だった島津家のご本尊「出生大黒天」と同じ大黒天が祀られていたことから、1615年(元和元年)に大黒寺を薩摩藩の祈祷所とし、その時に名前が大黒寺と改められました。それからは薩摩藩と関わりが深く、「薩摩寺」と呼ばれることもあったそうです。幕末頃には西郷隆盛や大久保利通などが訪れるなど、幕末の志士とも縁深いお寺と言えます。境内には島津家の家紋が多くありました。
お寺の裏の墓地には、寺田屋事件で犠牲となった薩摩藩士が眠っています。幕末に起こった寺田屋事件は2つあり、有名なのは坂本龍馬が襲われた寺田屋事件ですが、ご紹介するのは薩摩藩士が犠牲となったもう1つの寺田屋事件です。
1862年(文久2年)、まだ倒幕ではなく公武合体派だった薩摩藩でしたが、過激な尊王攘夷派だった一部の薩摩藩士は、他の藩の志士たちと共に決起しようとしていました。薩摩藩主の事実上トップだった島津久光は、大久保利通たちを派遣し、思いとどまるよう説得しました。しかし説得を聞き入れない藩士たち。ついに久光は剣術に優れていた家臣を派遣し、逆らうものを粛清したのです。当時薩摩藩の定宿だった寺田屋事件で“同志討ち”の激しい斬り合いが行われました。
寺田屋事件で犠牲となった有馬新七ら9名の志士のお墓が大黒寺の裏にあります。当初は薩摩藩にとっての反逆者ということで粗末なお墓でしたが、西郷隆盛が私財を投じ立派なお墓を立てたといいます。
②薩摩島津伏見屋敷跡
薩摩島津伏見屋敷跡は京都市伏見区東堺町にあります。ここに薩摩島津家の伏見屋敷がありました。江戸と薩摩を往復する際の当主の滞在地として、1670年(寛文10年)頃まで営まれていました。1853年(嘉永6年)、島津斉彬の養女・篤姫(後の13代将軍家定の正妻)が、江戸へ向かう途中にこの屋敷に入っています。
1866年(慶応2年)1月23日深夜、寺田屋で坂本龍馬が伏見奉行所の役人の襲撃を受ける騒動が起きました。有名な寺田屋事件として知られています。重傷を負った龍馬は、妻のお龍や寺田屋で一緒に居た長府の毛利家家臣・三吉慎蔵の通報によって、薩摩の大山彦八に救出され、ここの屋敷に避難しました。この屋敷に救出されていなかったとしたら、幕末史がまた違う形になっていたと考えられます。
③坂本龍馬避難の材木小屋跡
坂本龍馬ゆかりの史跡が京都市伏見区過書町 濠川の傍にひっそりと立っています。
1866年(慶応2年)1月23日深夜、坂本龍馬が寺田屋で伏見奉行所の役人30名程に取り囲まれ、捕縛・暗殺されそうになった事件、寺田屋事件が起こりました。龍馬が薩長同盟の会談を斡旋した直後に、薩摩藩士として寺田屋に宿泊していたところを役人に見つかり、襲撃されます。龍馬は高杉晋作からもらった拳銃で防戦しますが、両手親指を切られてしまい装弾ができなくなってしまいました。一緒に居た三吉慎蔵が槍で応戦し、負傷した龍馬を担いで逃げ込んだ先が材木小屋でした。薩摩藩の助け舟が来るまで潜んでいたそうです。寺田屋事件の詳細は三吉慎蔵日記に記されています。
④寺田屋
京都市伏見区南浜町にある寺田屋は幕末ゆかりの船宿でした。幕末の歴史的事件である2つの寺田屋事件の舞台として知られています。寺田屋は鳥羽・伏見の戦いの際に焼失しているので、現在の建物は明治に再建されたものです。
寺田屋の外の敷地には、寺田屋事件で犠牲となった薩摩九烈士の石碑や坂本龍馬像があり、維新当時の井戸もありました。寺田屋の中は幕末史を伝える展示物などが多くあり、寺田屋の2階客室も見学ができます。中の写真撮影もOKでした。
龍馬が襲われた寺田屋事件当時の様子が想像できるものも見ることができます。事件当時、お風呂に入っていた妻のお龍が外の不穏な様子にいち早く気付き、裸のまま階段を駆け上がって2階の龍馬に知らせた、という有名なお話がありますが、その階段とお風呂も見学できます。
他にも柱についた刀傷や、龍馬が使っていた部屋である梅の間、坂本龍馬や中岡慎太郎など幕末の志士たちに関わる資料など、見て楽しめる点が非常に多いので、特に幕末史好きの方にはオススメの場所です!
寺田屋住所:伏見区南浜町263
営業時間:10:00~16:00まで
アクセス:京阪電車本線「中書島」下車徒歩約5分、市バス「京橋」下車徒歩約1分、近鉄電車「桃山御陵前」下車徒歩10分
また、寺田屋は宿泊することも可能だそうです。ただし新型コロナウイルスの影響もあるかと思いますので、要確認です。
⑤松林院(しょうりんいん)
松林院は京都市伏見区本材木町にあります。ここには寺田屋の女将・お登勢のお墓があります。
お登勢は幕末期の寺田屋6代目寺田屋伊助の妻で、伊助が亡くなったあと女将として店を切り盛りしていました。寺田屋は薩摩藩の定宿であったことから、尊皇の志士たちゆかりの船宿でした。また、坂本龍馬の妻お龍を養女として寺田屋に置き、お龍の家族も金銭面で援助するなど、面倒見のいい頼りになる女性だったといいます。龍馬から“おかあ”と呼ばれ慕われていたことも有名です。松林院には寺田家祖先のお墓と共に、登勢の立派なお墓がありました。
京都伏見にある幕末スポットをご紹介しました!寺田屋で幕末に撮られた写真を多く見て、改めて幕末が写真が残っているような近い歴史であることを実感しました。手が届きそうで届かない幕末の魅力に触れることができる京都伏見、ぜひ皆様も訪れてみてください。
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