大阪七福神巡り 三光神社編
コロナや台風で世の中大変な状況になっていますね。私自身、大変なときだからこそ何かせねばと思っておりました。そこで、以前から行きたい行きたいと思っていた「大阪七福神巡り」に炎天下の中頑張って行ってまいりました!
スタートは三光神社さん、ゴールは四天王寺さんの、北から南にだんだん下っていくルートを選択しました。
三光神社
三光神社は、大阪府大阪市天王寺区玉造本町の宰相山公園内にあります。最寄り駅は大阪環状線の玉造駅で、駅から300mほどです。
創建は古代、第18代反正(はんぜい)天皇の頃だと言われています。三光神社の御祭神は、天照大神(あまてらすおおかみ)、月読尊(つくよみのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)です。これらの神が三光神社の名前の由来とされています。
三光神社は大阪城の東南に位置し、この辺りが「真田丸」と呼ばれた場所です。徳川家康との戦いで籠城論が主流だった豊臣側という立場で、真田幸村が大阪城の出城として陣を張りました。城の守りとして脆弱だったため、この場所にしたと言われています。現在この付近は真田山と呼ばれています。
真田の抜け穴
三光神社で興味深いのは、「真田の抜け穴」と呼ばれる場所があることです。(以降、幸村ではなく本来の信繁といいます。)真田の抜け穴は、真田信繁が大阪城まで通る地下道を掘ったと言われている穴です。抜け穴は神社の真下を通っているとされていますが、拝殿のすぐ近くにあるので簡単に見つけることができます。
抜け穴と呼ばれるものは各地に存在しています。和歌山県の九度山は関ヶ原の戦いで石田三成軍であった真田昌幸、信繁親子が蟄居(ちっきょ)させられた場所で、そこにも抜け穴があります。また、長野県の上田城、群馬県の沼田城にある真田井戸と呼ばれる井戸があり、抜け道になっていると言われています。
真田の抜け穴は、大阪城から物資を運ぶため、秀頼公を逃がすため、はたまた徳川方によって作られたなど、多くの説があります。実際のところきちんとした資料もなく、三光神社さんも真実はわからないそうです。抜け穴の真偽はともかく、真田丸が築かれた三光神社は真田信繁に関わる重要な場所であることは、様々な歴史的検証から間違いありません。
片足の鳥居
三光神社の方からお聞きしたことで特に印象的なことがあります。それは第二次世界大戦による大阪大空襲で焼け残った鳥居のお話です。大空襲によって三光神社の近辺はほとんどが焼け野原になり、三光神社も焼失してしまったといいます。しかし鳥居の右側だけ残り、現在でも立っています。
よく上の写真を見ていただくと、鳥居の前に1本だけの鳥居があって、右側だけ二重になっていることがわかると思います。神社の方からお話を聞いて、思わず目をつぶって焼け残った鳥居に触れ、歴史を体感しました。ぜひ歴史好きの皆さん、三光神社に行かれた際は必ず鳥居をご覧ください。
寿老人
七福神の一人である寿老人(じゅろうじん)は、「長寿」の福を意味し、そのご利益をもたらしてくれる神様です。神社や寺院などで神様として祀られるときは、「寿老神」と表記されますが、読み方は同じ「じゅろうじん」です。また「樹老人」と表記されることもあるそうです。
日本において寿老人は一般的に長寿を授ける神とされていますが、他にも次のようなご利益があるとも言われています。
- 知恵授け
- 身体健全
- 富財
- 福徳円満
- 家庭円満
- 厄払い
寿老人は宋(中国)の元祐の時代の人で、長頭の老人で杖を携え、杖の頭に巻物をつけ、うちわを持ち、鹿を連れていた人物だということです。
大阪七福神の一人、寿老人にしっかり手を合わせ次の七福神巡りへと向かいました!残りの七福神巡りはまた次回にご紹介いたします!
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