終戦から77年 語り継ぐ被爆体験
毎年原爆の日に合わせて世界の恒久平和への祈りに包まれます。今年はロシアの軍事侵攻によって、核の脅威に対する危機感が高まっている中、迎えた原爆投下から77年目の原爆の日。広島、長崎では犠牲者を追悼する祈りに包まれるとともに、核の脅威が高まる今だからこそ、「核兵器によってもたらされる悲劇」、「核なき世界の実現を願う被爆者の声」を国内外に発信することにしています。
歴史上の出来事は伝えていかなければ風化していきます。「詳しくは知らないけどなんか昔に悲しいことが起こった」と、ただの出来事で終わってしまうのです。これは過去の災害も同じことで、これから東日本大震災を知らない世代が増えていく中で、「過去の教訓」として生かしていかなければなりません。
戦争を経験した世代がどんどん少なくなっていく中、戦争を知らない私たちの世代が次の世代へ伝えていくことが重要です。戦争を経験した人だけにしか語れないことはあります。しかし、私たちの世代は、“経験した人”と“経験していない人”を繋いでいくことができます。繋いでいける最後の世代だと思います。今ウクライナで起こっていることから目を背けず、戦争の悲惨さ、平和の尊さを考える夏にしましょう。
被爆体験の語り継ぎ
広島、長崎では被爆体験を語り継ぐ「証言者」の担い手が、被爆者本人から子供や血縁関係のない戦争を知らない世代に移ってきているといいます。被爆者の平均年齢は84.53歳(3月末)で、本人から実体験を聞けるタイムリミットが迫っています。記憶を受け継ぐ人たちは「自分のものではない体験をどう語り継ぐか」を模索しています。
広島市、長崎市では「語り継ぐ被爆体験(家族・交流証言)」推進事業がすすめられています。交流証言者として、血のつながりのない家族等以外の方も対象として募集。市の研修制度もあり、毎年募集説明会が開かれています。
辛い体験をほとんど語らないまま亡くなられる被爆者の方もいますが、長年子供にも語られなかったが、記憶が薄れていく中「今のうちに聞いておこう」と決意し、家族証言者になられるご家族の方もおられます。
戦跡 薄れる記憶
8月9日の長崎平和祈念式典で岸田首相は「長崎を最後の被爆地とし続けなければならない」と述べました。戦後100年、200年と未来へ続けていくために、私たちはあの戦争を知る必要があります。
NHKの戦跡というサイトでは、数々の証言がまとめられ、語り継いでいくための取り組みなども紹介されています。NHKの取材によって新たに分かった真実も知ることができます。
例えば「広島に原爆が投下されたあの日、列車は走っていた」では、爆心地の広島市と広島県の北部を結んでいた現在のJR芸備線が、原爆投下当日8月6日に列車を走らせていたことが新たに分かっています。広島市がまとめた「原爆戦災誌」では、列車は9日に運転を開始したとされていたのですが、当時救護所で看護にあたっていたという方への取材を通して、あの日列車を動かしたという方にたどり着いたということでした。
証言を語り継ぐ、まとめるということの難しさも知ることができます。新型コロナウイルスの流行により被爆者の方への取材が困難となり、さらに過去の証言をまとめるのには著作権の問題もあるということ。継承していくことは簡単なことではないことを改めて知りました。(被爆体験の継承に著作権と新型コロナの壁)
NHK戦争を伝えるミュージアムもわかりやすいのでおすすめです。アニメ ヒバクシャからの手紙という動画もまとめられています。小学生でもわかる短いアニメですので、お子様の平和学習としても活用できます。
NHKだけでなく様々なところから発信されている戦争証言に関心を持って読んでみましょう。
ながさきの平和
被爆体験証言者、被爆体験伝承者及び家族伝承者を募集します
NHK 戦跡
NHK 戦争を伝えるミュージアム
朝日新聞 岸田首相「長崎を最後の被爆地に」 NPT参加強調
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